カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - まあまあだった

4 時に起きた。 5 時半まで寝たかったけど、なんとなく。今朝は割とすっきりしている。早起きがたたらねばいい日が過ごせそうな気がする。通院なのが残念なところ。通院すると 9 時すぎまで時間が潰れてしまう。特に投薬の変更を必要と感じていないので、薬だけ出してもらいたい。ネットで診察して近くの調剤薬局で受け取れないかな。無理だけど。

フリーライティングをした。テーマは絶食。そう、今日は血液検査のために絶食なんだった。クリニック側は絶食しなくてもいいという態度なんだけど、母が絶食しかあり得ない、みたいな態度だから付き合っている。たかが母の見栄のために絶食なんて苦しい思いをするのも馬鹿らしいけど。でもまぁ、中性脂肪の値が僕は飛躍的に高いから、正確に知りたいところではあるし、仕方がない。

朝食せず、濃いコーヒーは飲まず、タバコを吸って、ひもじい。

寝た。ひもじいので、通院の 8 時前まで寝た。通院した。ほぼ思いどおりの投薬になった。 1 週間前に頭がぼうっとしていたのはイレギュラーで、その後のぼうっとしていたのは睡眠薬のせいだと思う。睡眠薬を 1 つカットしてリスペリドンを増やした。天気もいいし、今日からいい日が過ごせるだろう。

ごそごそしてから寝た。どうも体調が優れない。怠いというか、わさわさするというか、落ち着かない。

昼食は冷やしうどん。

ちょっとグダグダしてから「八男って、それはないでしょう! 9 」をいくらか読んだ。そしてまた読み始め、 16 時。それから何してたっけ。ブログ記事を書いたんだ。時間的に他にも何かしてたと思うけど、よく覚えてない。

今日はまあまあだった。朝から割と調子がよくて、通院にさえぎられて体調の変化が分からなかったけど、午前中はちょっと崩れ気味になりつつそこそこだった。午後はまぁラノベに流れたのは悪い傾向だけど、その後はブログ記事を書いたり、なかなかいい感じだった。

父が惨めな件

父は惨めなんだと思います。田舎のことで一軒家なんですが、ことさらに玄関や窓を隠したがるのです。心理学的にどう解釈すべきなのかは分かりませんが、日頃の言動と合わせて考えると惨めな家内事情を表に見せたくないのです。

父にとって惨めことの第一には自分が七十五歳にもなるのに本気で働いていることでしょう。年金が思ったより少なく(父の世代から少ないそうです)、働かないと僕を含め家族三人で暮らしていけないのです。実際のところはもっと貧しい思いをすれば働かなくてもやっていけるようですが、父としては貧困は我慢ならないのです。

父は貧しい家庭に生まれ惨めに感じながら大きくなったようです。昔のことを惨めだったという話の下りで語ります。冬には壁の隙間から粉雪が吹き込んできたとか、まぁ、なんかそんな話です。父は僕に対してみっともない真似はするなといつも言っていました。それは父が子供の頃にみっともないことをしていたのでしょう。繰り返させたくない思いが表れています。

父の惨めさに拍車をかけるのが僕の存在です。中学生までは町の神童として有名で、卒業式には勉強のお守りになるからと制服のボタンが全てなくなり足りなくて他の物まで持っていかれるほどでした。父はさぞかし気分がよかったでしょう。そんな僕が今では四十五歳にもなって独り者で仕事もせず、なおかつキチガイの病気(うつ病は父などにとってはそんな認識です)なのです。さらにデブ。父はデブなのをことさらに嫌います。そんなことですから、惨めで仕方ないのです。

もうちょっと言うと、僕が中学生だった頃というのはバブルの時代でした。父は小野田レミコンという業界では一流の会社に勤務していました。当時はみんなそうですが、ミキサー車の運転手だとしても正社員です。羽振りがよかったのです。そんな黄金期を経験しているだけに、今の状況が余計に貧しく、みすぼらしく、惨めに感じられるのでしょう。

救いがあればいいと思うのですが、僕にどうこうできる問題ではありません。父に精神的な向上心があればいいのですが、そんな気がしません。と言うか、今の父は惨めなことは元より、気に入らないことばかりあり、そのことに執着するばかりで視野が狭くなっているように思います。救われないまま、いつか死んでしまうのかと思うとかわいそうです。具合のいい宗教にハマりでもしてくれればいいのですが、なかなか難しいことでしょう。ままならないものです。

FW No.25 - 高尚なものへの憧れ

高尚なものへの憧れがある。高尚と言うか頭よさそうなことだ。僕は自分が頭いいと思っていないといられない。中学生の頃は地元の小さな町の神童だった。そのときの感覚が染みついているというのか、自分は頭いい、頭よくないと存在する意味がないというような観念になっている。だけどそこまでの才能はなかった。挫折した。頭よくない。頭よくないのは知っている。知っているけど頭いいと思ってないといられない。そんな僕は頭いい日とのたしなみを持っていないのだけど、持っていないから憧れがある。哲学であるとか、コンピュータシステムを操るであるとか、そういうことに憧れがある。触れてみることはあるけど、難しくて手が付けられない。だから憧れなのだ。憧れて、高尚なつもりになったりもする。Twitterで人が言っていることが理解できないと腹が立つ。頭いいつもりだから、知らないことなんてないはずだし、難しいことだって理解できるはず。だから分からないことなんてないはず。なのに分からないことがあると反発してしまう。Twitterでの発言なんて文脈が分からず理解できないのも当然だったりするのだけど、そういうのは関係なかった。数学は暗黙の不可侵地帯だ。触れてはならない。頭いいつもりだから数学なんてなんでも分かるはずなのに、なんにも分からない。この領域は触れてはならない。見て見ぬふりだ。憧れすら抱けない高みにある。見たら目が潰れる。取り繕って、自分は頭悪いからさっぱり分かりませんというポーズを取って逃げている。卑怯者め。腰抜けめ。

日記 - イマイチだった

5 時半に目覚ましで起きた。調子はまあまあ。夜中に何度も目が覚めて疲れた気分。

朝食して、濃いコーヒーを飲んで、タバコを吸って、眠い。

寝た。昼前まで寝た。ここ 1 週間は寝ていることが多い。睡眠薬が残っているんだろうか。確かにしばらく前までは飲んでいない睡眠薬があった。でもそれを飲み始めたのは睡眠の質を向上させる目的があるわけで、飲まなければいいかというと、そう単純ではない。

それにしても今は 33.3 ℃もあるのに、それほど暑いという感じがしない。精神的な調子のせいだと思うのだけど、不思議なものだな。これなら暑いのに気づかず熱中症になるというのもうなずける。というか、汗をあまりかかないんだよな。湿度は 44.9 度で、そんなに乾燥してるわけでもないんだけど。なんだろう、不思議だ。あれ、部屋の外の温度計では湿度が 20 度くらいになってる。不思議だ。

昼食はカップラーメン。

ぼんやりしてやる気が出ない。感情が薄れてしまって、無感動というか、物事に心が反応しない。何をするでもなく、何もしないでもなく、なんとなく 14 時。エアコンをつけて寝転んだ。寝た。夕方まで寝た。

それにしても自作パソコンはどうしようかと悩ましい。何か見落としているものがあるかもしれず、次に進むのもためらわれる。お金があればいっそ諦めてまたノートパソコンを買うことも考えられるけと、そうもいかない。そういばCPUクーラーを取り付けていない状態だとエラーのランプがつかなかったかもしれない。そこのあたりに解決の糸口があるかもしれない。ああ、面倒臭いな。

人が暑いと感じるのは汗が出るからじゃなかろうか。今日などは乾燥していて、 35 ℃もあるのにさほど暑いという感覚がなかった。脳の仕組みとして悲しいから泣くのか、泣くから悲しいのか、という問題がある。実は泣くから悲しいものらしい。暑いというのも、汗をかくから暑いのかもしれない。

今日は(も?)フリーライティングしなかった。途中まで書いたけど、なんだか書けなくなってやめてしまった。ここのところ、ぼんやりした日が続いていて、かけない書けない日が多いような気がする。この 1 週間は頭がぼんやりする。何が原因かは分からない。分からないことばかりだ。運命に翻弄されている。川に流される木の葉のようなものだ。 

今日もイマイチ。やる気はなかったし眠かったし、でも苦しくはなくて。

FW No.24 - 神戸

神戸は第二の故郷。というか主たる街。大学中退して就職したのが神戸の会社だった。そこで、今でも唯一尊敬している人と出会って育ててもらった。熱心に根気強く育ててもらった。そして多くを学んだ。僕という人間が花開いた。インターネットに深く触れるようになったのがその時期だったということも花開いたことと関係しているかもしれないけど。そういう意味では神戸は関係ないという面もあるが、仕事中に散々ウェブサーフィンすることができたのはその会社でその尊敬する上司に出会ったことが大きいだろう。会社で働きまくったし会社で遊びまくった。仕事が趣味だったから働くも遊ぶも同じだったのかもしれない。成長速度は非常にゆっくりだったと思う。今どき誰でも使えるExcelが完全な独学でであってでも使えるようになるのに数年かかったのだから遅いだろう。それでもこれまでにないくらいに成長した。本業の設計関係やシステム管理は元より、文書を書くことを覚え、画像編集を覚え、ウェブサイトを作ることを覚え、他にもデスクワーク系で必要になる技術はいろいろと覚えた。仕事漬けの毎日だった。働きまくった。うつ病になるまで働いた。反面、街で遊ぶようなことは少なかった。行動範囲は狭かった。三宮の狭い地域だった。三省堂の漫画コーナーをぶらついたり、文房具ナガサワをぶらついたり、サンチカの餃子屋梵天で一杯飲みながら餃子を食べたり、サンプラザの本屋GUILDにも行った。いろいろあるけど、まぁ「そこらへん」だ。休日のデートしない日はそんなだった。お気に入りの店はもっとあるけどいい加減にしておこう。そんな生活を覚えたのが神戸だった。そう言えば仕事から帰るとストレスから酒をあおり、焼きそばをマヨネーズ山盛りにして食べたりした。スパゲティを茹でて食べた。結局あまり上手に味付けできるようにはならなかった。神戸を愛している。燃えて燃えて燃え尽きたのが神戸だった。